28年度3期「碧南の歴史と文化 西端藩村方文書」

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更新日:2019年10月14日

常設展「碧南の歴史と文化」 28年度-3期 碧南の古文書9「西端藩村方文書」

概要
 期間  平成28年11月5日(土曜日)〜平成29年2月19日(日曜日) 午前10時〜午後6時(月曜日休館) 
 場所  碧南市藤井達吉現代美術館(碧南市音羽町1丁目1番地)地下1階 情報コーナー
 主催  碧南市教育委員会
 内容 平成28(2016)年から400年前の元和2(1616)年に、本多忠相が西端(現碧南市)の領主となりました。そこで今回は、碧南市市史資料として収蔵している西端藩村方文書の一部を展示します。
西端と本多家の関わりは、元和2(1616)年、西尾城主本多康俊の二男忠相が、大坂夏の陣の行賞として碧海郡西端村と城ヶ入村(計1,000石)の領知を賜ったことに始まります。本多家は二代目忠将の時より長らく9,000石の旗本でしたが、幕末の元治元(1864)年、十代目忠寛の時に1万500石の大名となり(西端藩)、十一代目忠鵬の時に廃藩置県を迎えました。
本多家は旗本として江戸に居住したため、江戸から来た代官が庄屋宅(のち陣屋)に宿泊逗留して貢租の取立を行なったといいます。また藩の本拠が西端村に移されたのは明治元(1868)年のことでした。
その間、西端村をはじめ本多家の三河国5か村の知行を支えたのが、西端村の原田善次郎家です。今回はこの資料(当市所蔵大橋家寄贈資料)の一部をご紹介します。
このコーナー展示を通じ、西端藩主本多家と西端村の様子の一端をご覧いただければ幸いです。
本多忠興書「孝弟(悌)」(碧南市蔵)

この記事に関するお問い合わせ先

碧南市役所 教育部 文化財課
電話番号 (0566)48-6602

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