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《眼の城'86》新妻実

更新日:2020年01月10日

「眼の城’86」写真

《眼の城’86》新妻実 1986年 高さ6m 重さ40t ポルトガル産赤褐色ロブラート御影石 碧南市役所前

碧南の彫刻のあるまちづくり 第4作(昭和61年度)

 彫刻家が他の彫刻家に就いて語るのは容易のように思われるが、私には非常に困難だ。が、デビット・スミスだけは、いつも敬愛の念を以って気軽に語ることが出来る。

 彼はビルや橋梁、船や車の材料でしかなかった鉄に生命を与へ、暖かさと人間性、そして力強さを引きずり出し非力なアメリカ現代彫刻を一挙に世界の彫刻にまで高めた。

 ニューヨーク州もカナダに近い湖に近い工房で、鉄板に直接チョークで、デッサンをしそれをトーチで切断する、いわゆる石の彫刻におけるぢかぼりだった。時折り二ューヨーク市に出てきて、今はなくなったグリニッチ・ヴィレッジのシーダ・バーで呑んだくれ、芸術を創る喜びと苦悩、人間の悲しみ、いとおしさ、死を私と語った。1965年彼は自動車事故で亡くなった。時に59才だった。何年前になるだろうか。私は或る雑誌にこのように書いた憶えがある。

 作家が自分の作品に就いて語る時、作品がすべてだ、作品をみてくれ、ではすまされない、私にとっては非常に困難な時代となった。

 粘土や鉄の彫刻は外に向かって加えています。石や木は芯に向かって、彫り取っていきます。今回の作品は中に中にと彫っていくうちに貫通し、穴があき、マイナスのネゲティブの空間でもってプラスの空間と、とってかえさせた。そしてそこと、ネガティブの空間からとび出たポジだけを磨きあげ、あとは石切場から割り出した形を残したものとなりました。ポルトガル南部よりとれ御影石のなかでは世界で一番硬い。硬質のドリルのあとは圧縮空気でもって砂をふきつけ鋭さをとりました。この石が日本にきたのは初めてで名はロブラートと云います。石への思いは書けても矢張り自作について書くのは無理だな。

 雨で濡れると石のわれ肌が石のもつ色となり、ぶっきら棒で媚を売らず、ながめあげると穴のむこうに碧南の紺碧の空と海がみえたらしめしめです。

新妻実

新妻実氏の略歴
1930 東京に生まれる
1955 東京芸術大学彫刻科石井教室を卒業
1959 渡米、ニューヨークに居をかまえる
1964~70 ブルックリン美術館附属美術学校講師
1972~84 ニューヨーク・コロンビア大学美術学部助教授
1981~ アメリカ芸術院会会員候補に選ばれた。
ニューヨーク、ダブリン、ポルトガル、バーモント、オーストリア等、国際彫刻シンポジウムを企画、主催、参加する。永久コレクションとしてニューヨーク近代美術館、グッゲンハイム美術館、スミソニアン美術館、東京、大阪、京都の国立近代美術館等にある。尚、86年度は東京国立近代美術館フィルムセンター正面、静岡市新庁舎正面にモニュメントを建てた。87年度は大西洋上のエソ゛レス諸島、韓国国立現代美術館にも巨大なモニュメントを建て、87~88年度はグッゲンハイム美術館50年展には正面に彫刻が飾られている。
1998 死去

この記事に関するお問い合わせ先

碧南市役所 教育部 藤井達吉現代美術館
電話番号 (0566)48-6602

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