平成26年度歴史系企画展「没後130年 山中信天翁と幕末維新」

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更新日:2019年03月22日

平成26年度歴史系企画展「没後130年 山中信天翁と幕末維新」

概要
会期  平成27年1月23日(金曜日)〜3月8日(日曜日) 午前10時〜午後6時 (月曜日休館)
会場  碧南市藤井達吉現代美術館(碧南市音羽町1丁目1番地) 2階展示室1・2
主催  碧南市藤井達吉現代美術館・碧南市・碧南市教育委員会
協力  碧南市文化財保護審議会
内容 本展は、碧南が生んだ幕末維新期の文人、山中信天翁(1822〜85)の没後130年を記念した展覧会です。山中信天翁は文政5(1822)年に三河国碧海郡棚尾村東浦(現碧南市)に生まれました。信天翁は静逸(せいいつ)と共に号で、諱(いみな・生前の実名)は献(まつる)といいます。山中家は豪農で、父は京都の儒者馬淵嵐山(らんざん)に、信天翁と弟の猷(ゆう)も大坂の儒者篠崎小竹に学ぶという家庭環境に育ちました。
信天翁は、上方で勤王の志士と交わっていた弟の猷が嘉永7(1854)年に病死したのを機に、弟の猗(き)に家督を譲り、津(三重県)の漢学者斎藤拙堂に学び京都に出ました。京都では勤王の志士と交わるなかで岩倉具視の知遇を得、明治維新で新政府に入り地方官として石巻県権知事などを勤めた後、伏見・閑院・北白川三宮家の家令を勤めました。明治6(1873)年に退隠した後は、京都の下鴨「二水荘」や嵐山の山荘「対嵐山房」で悠々自適の生活を送り、明治18(1885)年64歳で亡くなりました。
本展では、これまであまり触れられなかった信天翁の経歴について歴史資料を中心にご紹介します。
また信天翁は、身につけた漢学を中心とした教養をもとに詩文や書画を制作し、煎茶も嗜みました。明治10(1877)年に明治天皇が「対嵐山房」に臨幸の折に、銀盃を賜っています。本展では、こうした文人信天翁の作品や遺愛品、煎茶道具などが一堂に会します。
勤王の志から岩倉具視の知遇を得、維新後官吏として明治新政府の立上げに尽力した幕末維新期の山中静逸。そして退隠後、日々の生活に書画制作・鑑賞を取り込んでいた文人山中信天翁。二面を持った山中信天翁の世界をお楽しみいただければ幸いです。
 構成  第一章 序 山中信天翁とは
 第二章 勤王の士・山中静逸
 第三章 文人・山中信天翁
 第四章 信天翁亡き後
 観覧料  一般400円、高・大学生200円、小・中学生100円(20名以上は団体料金あり)
 展示替  会期中一部展示替を行います。
 前期 平成27年1月23日(金曜日)〜2月15日(日)
 後期 平成27年2月17日(火)〜3月8日(日)

この記事に関するお問い合わせ先

碧南市役所 教育部 文化財課
電話番号 (0566)48-6602

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