伊藤証信年譜

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更新日:2019年07月22日

伊藤証信年譜
西暦   和暦 年齢 出来事 
1876 明治9   9月10日三重県員弁郡久米村坂井(現桑名市)で父清五郎、母こはるの長男として誕生。
幼名清九郎または常吉。 
1888 明治21  12 出家を志し、源流寺に小僧として住み込む。 
1889 明治22  13 円授寺に入り、得度。証信と改名。 
1896 明治29  20 真宗大学に入学。特待生となる。 
1900 明治33  24 真宗大学本科卒業。研究科進学。 
1901 明治34  25 大学の移転に伴い、上京。
1904 明治37  28 8月27日父看病のため久米村に帰宅。夜半霊感に打たれ、無我愛を悟り、主義方針を一変。
1905 明治38 29 東京郊外巣鴨村大日堂に移り「無我苑」と名付ける。6月機関紙『無我愛』を創刊。
10月真宗大谷派東本願寺僧籍を離脱。12月河上肇入苑。 
1906 明治39  30 2月無我愛運動を中止し、無我苑を閉鎖。西ヶ原農園の園丁となる。
6月山口県徳山女学校に教諭として赴任。
竹内あさ子と知り合う。9月父清五郎死去。 
1909 明治42 33 あさ子と結婚。11月徳山女学校辞任。
1910 明治43  34 夫人と上京。4月雑誌『我生活』を発刊、千駄ヶ谷に「我生活社」の看板を出す。 
1911 明治44 35 論文「大逆事件の掲示」で5日間入獄。 
1912 明治45  36 「我生活社」閉鎖。実費診療所に会計係として勤務。浅草並木町に移転。著書『新気運』 
1916 大正5  40 1月宗教新聞「中外日報」社主筆に招かれ、京都東山に移る。 
1919 大正8  43 「中外日報」を辞任。東京神田神保町に借家。著書『百問百答信仰問題』 
1920 大正9  44 機関紙『精神運動』を発刊し、精神運動開始。
あさ子婦人運動に参加。西三河に初遊説。 
1921 大正10  45 東京中野に移転「無我苑」を再開。著書『無我愛の真理』『対話精神生活』 
1922 大正11  46 6月無我愛同朋全国大会を無我苑で開催。 
1923 大正12  47 『愛聖』を発刊。あさ子関東大震災罹災者救済。 
1925 大正14  49 4月三河西端に移り、読書思索の生活に入る。 
1926 大正15  50 母こはる死去。 
1928 昭和3  52 名古屋真宗専門学校で哲学講座を担当。 
1932 昭和7  56 著書『哲学入門』 
1933 昭和8  57 著書『無我愛の哲学』。森信三氏とカントの哲学を共同研究。 
1934 昭和9  58 12月西端に無我苑新築落成。 
1935 昭和10  59 東京神田で画会を催す。 
1939 昭和14  63 満州に渡り無我愛の伝導に尽くす。以降昭和17年まで毎年1回渡満。 
1949 昭和24  73 世界連邦建設同盟無我苑支部設立。 
1952 昭和27  76 世界連邦アジア会議(広島で開催)に出席。 
1954 昭和29  78 世界連邦第2回アジア会議(東京)に出席。 
1956 昭和31  80 10月あさ子夫人76歳で死去。 
1959 昭和34  83 『無我愛』休刊。発刊より55年、266号で終わる。 
1963 昭和38  87 1月14日、無我苑にて老衰性心臓まひで死去。 

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